二度あったことは、三度あってはならない

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普代水門石碑

こんばんは、阿部孝太郎です。

自民党茨城県政経フォーラム

自民党茨城県政経フォーラム

先日16日、午前中から自民党茨城県連政経フォーラムで二階俊博衆議院議員の講演があり、夜は自民党玉造支部の総会でした。総会には、岡田広参議院議員、上月良祐参議院議員にお越しいただき、様々なお話をお伺いすることができ、一日を通してとてもよい経験ができたと思います。熊本地震の件で震災、災害についての話題が多くあり、そのなかで岡田広参議院議員から「岩手県普代村」のお話がありました。

実は昨年6月に行われた、経済建設委員会行政視察研修で普代村の普代水門を視察してきたので、今回の地震と合わせてとても感慨深く感じております。

この普代水門、2011年の震災の直後にも注目されたのでご存知の方は多いかと思います。過去2度の大震災、大津波(1896年、1933年)で多くの被害を受けた普代村ですが、当時の和村幸得(わむら こうとく)村長が「二度あったことは、三度あってはならない」「15メートル以上」と周囲の反発を押しのけ1967年に太田名部防潮堤(15.5m、総工費5,837万円)、1984年に普代水門(15.5m、総工費35億6,000万円)を完成させました。そして2011年東日本大震災での大津波。近隣の沿岸部自治体が甚大な被害を受ける中、普代村は死者ゼロ(防潮堤の外に出た行方不明者1人)、被災民家もゼロと、この防潮堤と普代水門は住民の命と財産を守り抜いたのです。

普代水門

普代水門

普代水門石碑

普代水門石碑

 

正直、私が当時の普代村の住人であったら、この事業に賛成していたでしょうか。反対していたかもしれません。しかし和村村長のなんとしてもこの村を守り抜くのだ、もう惨劇があってはならないのだという熱意は、鬼気迫るものであったと感じます。

公共事業に関しては様々な意見があります。私は、これから民間でできる事は民間に託すべきであり、民間ではできにくい公共性のあるものには積極的に行政が介入し、連携を取っていくことが大切だと考えます。もちろん無駄があってはなりません。それが住民の方々にとって有益でなければならないことは勿論です。しかし、目先の事だけを考えずに、今自分が考えているよりも更に先のことを考えなければならないのではないか。そんなことを和村村長から教えられた気がします。

最後に1997年、88歳で死去された和村村長が、1987年4月30日の村長退任の挨拶の際に述べた言葉を記載します。

「村民のためと確信をもって始めた仕事は反対があっても説得をしてやり遂げてください。最後には理解してもらえる。これが私の置き土産です」

阿部孝太郎

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